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2006.09.25
Episode1 「分岐点」~米原~ (9)
後で調べて分かったことだが、米原は北国街道の宿場町であったらしい。国道8号線から分かれて、集落内を南北に貫く通りが北国街道であり、通り沿いの所々に町家の連なりが残されていた。静まり返ってはいたが、まぎれもなくここが米原の、本来の中心なのである。街灯の柱に取り付けられた「米原商店街」の文字が、それを証明していた。

(北国街道沿いの町並み、そして米原商店街)
どこからともなく聞こえてくる「遠き山に日は落ちて」のメロディーが心を駆り立て、さらに街道を北へと進む。別に、陽が落ちたからと言ってすぐに困ることはないのだが、この手の曲には条件反射的に気持ちを焦らせる効果があるようだ。たとえば、閉店前の「蛍の光」とか。それにしても地方の町へ行くと、こういう夕暮れ時に、町中に音楽を流しているのをよく聞くけど、あれは何なのだろうね。時報代わりなんだろうか。
やがて街道は、一軒の旅館と、その手前に立つ道しるべに突き当たった。道しるべに近づき、その文字を読む。そこには、「右中山道」「左北陸道」の文字があった。ここが、中山道と北陸道(北国街道)の分岐点であるらしかった。それは昔も今も、恐らく今後も、ずっと分岐点であり続けるのであろう米原の町を、象徴しているかのような道しるべだった。僕は左右どちらをも選ぶことなく、音楽が鳴り止むまで、その場に立ち尽くしていた。(了)

(分岐点)

(北国街道沿いの町並み、そして米原商店街)
どこからともなく聞こえてくる「遠き山に日は落ちて」のメロディーが心を駆り立て、さらに街道を北へと進む。別に、陽が落ちたからと言ってすぐに困ることはないのだが、この手の曲には条件反射的に気持ちを焦らせる効果があるようだ。たとえば、閉店前の「蛍の光」とか。それにしても地方の町へ行くと、こういう夕暮れ時に、町中に音楽を流しているのをよく聞くけど、あれは何なのだろうね。時報代わりなんだろうか。
やがて街道は、一軒の旅館と、その手前に立つ道しるべに突き当たった。道しるべに近づき、その文字を読む。そこには、「右中山道」「左北陸道」の文字があった。ここが、中山道と北陸道(北国街道)の分岐点であるらしかった。それは昔も今も、恐らく今後も、ずっと分岐点であり続けるのであろう米原の町を、象徴しているかのような道しるべだった。僕は左右どちらをも選ぶことなく、音楽が鳴り止むまで、その場に立ち尽くしていた。(了)

(分岐点)
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2006.09.20
Episode1 「分岐点」~米原~ (8)
そもそも、乗り換えに利用することは多くても、駅の外に出ることが滅多にないのが米原駅である。まして東口の向こう側を歩く機会など、普通ならまず無かっただろうと思う。しかし、古びた小米原駅に降り立った僕は、そのまま巨大駅の中に向かう気にはなれなかった。メインストリートを離れて、脇道を散歩するようなこの感じを、もう少し楽しんでみたい。新幹線が通過していく轟音に背を向け、僕は東口駅前をさらに東へと歩き始めた。もしかすると彦根駅の外れにある、あのホームに向かったときから、僕は何かに背を向け始めて歩き出していたのかもしれない。大げさだが。
さて、歩き出してすぐに、国道8号線にぶつかった。しかし国道を越えた向こう側にも道は続いていて、見ると旅館が数軒並んでいるようだ。小規模な旅館街が形成されているらしく、古い町並みとまでは言えなくても、それなりに雰囲気は悪くない。招き入れられているような気持ちになり、青信号を渡る。旅館街の向こうで小さな交差点を曲がると、一見して旧街道だと分かる狭い通りが、その先に続いていた。

(旅館街)
さて、歩き出してすぐに、国道8号線にぶつかった。しかし国道を越えた向こう側にも道は続いていて、見ると旅館が数軒並んでいるようだ。小規模な旅館街が形成されているらしく、古い町並みとまでは言えなくても、それなりに雰囲気は悪くない。招き入れられているような気持ちになり、青信号を渡る。旅館街の向こうで小さな交差点を曲がると、一見して旧街道だと分かる狭い通りが、その先に続いていた。

(旅館街)
2006.09.12
Episode1 「分岐点」~米原~ (7)
地図で見ても分かるが、米原の町は、巨大なほうの米原駅によって東西に分断されていて、西口と東口とでは全く別の町のようになってしまっている。駅の周辺に踏切はなく、東西を行き来するにはただ一本の陸橋を渡るか、駅の中を通るしかない。
東西の駅前を見比べると、町らしく見えるのは西口である。ロータリーが整備され、ビルやスーパーが建っている。通りを歩き出せば、その彼方には繁華街の賑わいがあるのではないかと言う気がする。しかし実際には、まさにビルとスーパーがあるだけで、その向こう側に市街地らしい場所はない。結局、すごすごと引き返すか、スーパーの中でハンバーガーでも食べることになる。

(西口の風景。やはり鳩はここにも)
これに対して、東口は一見寂しい。改札口を出た途端、思わずごめんと引き返しそうになるほど、何もない。例の近江鉄道米原駅はこの東口にあるのだが、ここを乗り換え客が歩いてきそうには、とても見えない。ああ、やはり駅だけの町なのだなと早合点しそうになるが、実は米原の町は、この東口の側にあるのだ。商店街だって、ちゃんとある。これはあとで紹介する。

(こちらは東口。右の殺風景な建物が、近江鉄道の駅)
東西の駅前を見比べると、町らしく見えるのは西口である。ロータリーが整備され、ビルやスーパーが建っている。通りを歩き出せば、その彼方には繁華街の賑わいがあるのではないかと言う気がする。しかし実際には、まさにビルとスーパーがあるだけで、その向こう側に市街地らしい場所はない。結局、すごすごと引き返すか、スーパーの中でハンバーガーでも食べることになる。

(西口の風景。やはり鳩はここにも)
これに対して、東口は一見寂しい。改札口を出た途端、思わずごめんと引き返しそうになるほど、何もない。例の近江鉄道米原駅はこの東口にあるのだが、ここを乗り換え客が歩いてきそうには、とても見えない。ああ、やはり駅だけの町なのだなと早合点しそうになるが、実は米原の町は、この東口の側にあるのだ。商店街だって、ちゃんとある。これはあとで紹介する。

(こちらは東口。右の殺風景な建物が、近江鉄道の駅)
2006.09.08
Episode1 「分岐点」~米原~ (6)
米原までは、東海道線なら一駅なのだが、近江鉄道には中間の駅があり、鳥居本駅という。いかにも歴史のありそうな地名だが、実際にここは鳥居本宿という宿場があったところであり、街道沿いに町並みが残っているとも聞いている。恐らくは、ここに寄るためにわざわざ山越えコースでレールを敷いたのだろう。しかし今日は何の資料もないことだし、なにより天気が良くないので、車窓から眺めるにとどめることにする。
そこから先は、国道沿いを坦々と、電車は走る。少し離れて平行する新幹線の高架を、のぞみ号と思われる超特急が駆け抜けていくが、あれは別世界の乗り物だ。退屈で眠ってしまいそうなので、ここで雑談を披露しよう。
「米原駅」の読みは、「まいばらえき」である。この駅を知っている人なら、わざわざ説明するまでもないことだろう。しかし、この駅が位置する町の名が、「まいはらちょう」であったことは案外知られていない。濁らずに、あくまで「まいはら」なのだ。ところがこの「米原町」、今年(平成17年)の2月14日に山東町、伊吹町と合併して「米原市」となった。市と呼ぶには苦しい規模の町なのだが、これはまあ平成の大合併ではさほど珍しいことではない。で、この「米原市」をどう読むかというと、これが「まいばらし」なのである。濁っている。駅に合わせたのかどうかは知らないが、ややこしい話ではある。ちなみに、北陸自動車道のインターチェンジは「まいはらIC」らしい。どうするんだろう。
などと、余計に眠くなりそうな話をしているうちに、電車は冒頭の米原駅に到着する。「今、僕が降り立ったのは」という箇所に、やっと戻ってきた。
そこから先は、国道沿いを坦々と、電車は走る。少し離れて平行する新幹線の高架を、のぞみ号と思われる超特急が駆け抜けていくが、あれは別世界の乗り物だ。退屈で眠ってしまいそうなので、ここで雑談を披露しよう。
「米原駅」の読みは、「まいばらえき」である。この駅を知っている人なら、わざわざ説明するまでもないことだろう。しかし、この駅が位置する町の名が、「まいはらちょう」であったことは案外知られていない。濁らずに、あくまで「まいはら」なのだ。ところがこの「米原町」、今年(平成17年)の2月14日に山東町、伊吹町と合併して「米原市」となった。市と呼ぶには苦しい規模の町なのだが、これはまあ平成の大合併ではさほど珍しいことではない。で、この「米原市」をどう読むかというと、これが「まいばらし」なのである。濁っている。駅に合わせたのかどうかは知らないが、ややこしい話ではある。ちなみに、北陸自動車道のインターチェンジは「まいはらIC」らしい。どうするんだろう。
などと、余計に眠くなりそうな話をしているうちに、電車は冒頭の米原駅に到着する。「今、僕が降り立ったのは」という箇所に、やっと戻ってきた。
2006.09.04
Episode1 「分岐点」~米原~ (5)
こうして彦根駅に戻ってはきたが、しかし結局良いアイデアなど思いつかない。じゃあ帰るか、帰るのだったら一度米原まで行こうかと運賃表を見上げる。帰る方向とは逆になるが、一駅となりの米原は新快速電車の始発駅であり、確実に座って帰れるからだ。いや、どうせならと僕は思いつく。米原までなら、近江鉄道が平行して走っているはずだ。JRで同じ区間を往復するより、違う経路を通る方が面白いのではないか。どうせ、先を急ぐわけでもない。

早速、彦根駅の外れにある近江鉄道のホームへと向かう。ほんとに外れであって、目の前は電車の車庫である。列車はほぼ三十分に一本だが、幸いなことに米原行きはすぐにやってきた。わずか、一両編成だ。車両の前面でライオンズのレオマークが吠えているが、これは近江鉄道が西武グループの傘下だからだ。昨今何かと話題のこの巨大企業だが、創業者の出身地であることから、滋賀県との縁が深い。しかし電車は、不正疑惑などとはまったく無縁に、ゆっくりと走り出す。
駅を出た近江鉄道の路線は、北へ向かう東海道線に別れを告げて、東へと向きを変える。彦根市街地の東側は、かつて佐和山城があった山地だから、電車は当然そこを越えなければならない。モーターをうならせながら坂を登り、トンネルをくぐる。なぜわざわざこんなルートにしたのかは知らないが、アップダウンが激しくてなかなか楽しい。国道8号線も、ほぼ同じルートを採っている。

早速、彦根駅の外れにある近江鉄道のホームへと向かう。ほんとに外れであって、目の前は電車の車庫である。列車はほぼ三十分に一本だが、幸いなことに米原行きはすぐにやってきた。わずか、一両編成だ。車両の前面でライオンズのレオマークが吠えているが、これは近江鉄道が西武グループの傘下だからだ。昨今何かと話題のこの巨大企業だが、創業者の出身地であることから、滋賀県との縁が深い。しかし電車は、不正疑惑などとはまったく無縁に、ゆっくりと走り出す。
駅を出た近江鉄道の路線は、北へ向かう東海道線に別れを告げて、東へと向きを変える。彦根市街地の東側は、かつて佐和山城があった山地だから、電車は当然そこを越えなければならない。モーターをうならせながら坂を登り、トンネルをくぐる。なぜわざわざこんなルートにしたのかは知らないが、アップダウンが激しくてなかなか楽しい。国道8号線も、ほぼ同じルートを採っている。
2006.08.31
Episode1 「分岐点」~米原~ (4)
再び夢京橋に戻り、途中で横道にそれると、さっそく町家の集まる一画に出る。現役の医院として使われている建物が、立派だ。しかし、撮れた写真はやはり今一つのものであった。空はどんよりとしたまま、ぼんやりと不透明な空気越しの町並みは、コントラストを失って平面的である。せっかくの一眼レフだし、露出などをいろいろ弄ってみるが、この空気をカバーできるほどの腕はない。記録として最低限の写真のみ撮り、引き上げることにする。遠い町ではない。また来ればいい。町並み撮影は、腕より根気だと自分に言い聞かせる。

夢京橋キャッスルロードへと戻り、しばらくぶらぶらしてから、彦根駅へと引き返す。行くあてはないが、このまま帰るつもりもない。駅まで帰れば、何か思いつくだろう。さびれつつある商店街の写真などを撮りながら、また歩く。
このクラスの都市の中心商店街は、どこも苦しい。みんな車で、郊外のスーパーへ買い物に行くのだろう。四番町の前身であった市場商店街など、薄暗いアーケードのせいもあってか、不安になるくらい元気がなかった記憶がある。滋賀県の場合、地元資本の準大手スーパーが、あらゆる場所に店舗網を張り巡らせているのだから、なおさらである。琵琶湖周辺では、どこの町へ行こうとも、そのシンボルマークである二羽の鳩から逃れることはできない。絶対に。

(滋賀県の覇者、二羽の鳩)

夢京橋キャッスルロードへと戻り、しばらくぶらぶらしてから、彦根駅へと引き返す。行くあてはないが、このまま帰るつもりもない。駅まで帰れば、何か思いつくだろう。さびれつつある商店街の写真などを撮りながら、また歩く。
このクラスの都市の中心商店街は、どこも苦しい。みんな車で、郊外のスーパーへ買い物に行くのだろう。四番町の前身であった市場商店街など、薄暗いアーケードのせいもあってか、不安になるくらい元気がなかった記憶がある。滋賀県の場合、地元資本の準大手スーパーが、あらゆる場所に店舗網を張り巡らせているのだから、なおさらである。琵琶湖周辺では、どこの町へ行こうとも、そのシンボルマークである二羽の鳩から逃れることはできない。絶対に。

(滋賀県の覇者、二羽の鳩)
2006.08.28
Episode1 「分岐点」~米原~ (3)

まずは今日のもう一つの目的、「四番町スクエア」へと向かう。夢京橋に隣接するこの地区は、「大正ロマン風」町並みとして整備が進んでいるそうだ。どんなシュールな光景が見られるのだか、とにかくこれは放っておけないだろう。彦根城に近い、夢京橋のそばと言うことは、古い町並みが残るエリアからも近いわけだから、ついでに寄ると考えても不便はない。
彦根城の広大な濠を眺めつつ、ひたすら歩き、やっと夢京橋キャッスルロードにたどり着く。天気が悪いせいか、観光客の姿は少な目である。兄弟と思える子供二人が、空いた通りを大はしゃぎしながら走っていく。僕だって、子供の頃なら同じようにはしゃいだに違いない。町家の姿をした店がいくつも並ぶ、テーマパークのような楽しい町である。しかし僕は、駄菓子屋やみやげ物屋を横目に、「四番町スクエア」を目指す。大正ロマンが僕を待つ。
たどりついたその町は、まだ未完成のようだった。老朽化していたアーケード商店街を取り壊し、区画整理を行って、新たな店舗への建て替えの真っ最中である。しかし、完成した部分を見ても、それが果たして大正ロマンであるのか、正直言って何とも言えない雰囲気だ。詳しくは写真をご覧いただきたいが、モボやモガが三越や帝劇を目指してそこを闊歩する様を想起するのは少々難しいのではないか。ただここは、地元の有志の方々が頑張って開発を進めておられるそうであるし、まだ未完成でもあるので、今後に期待したいところだ。リアリティよりもいっそ、徹底的にシュールで不可解な空間にしてはいかがかというのが、僕からのアドバイスである。昔の広告看板で町を埋め尽くすとかね。これならコストも大してかからないし。
(注:この文章の内容は、2005年現在のものです)
2006.08.24
Episode1 「分岐点」~米原~ (2)

その日僕が向かったのは、米原の町に隣接する彦根市だった。彦根は、滋賀県東部で最大の町だ。人口、約10万。国宝彦根城の立派な造りを見てもわかるように、かつてはかなりの規模を有する城下町で、県庁所在地となっても不思議のなかった地である。ベッドタウンとして近年発展著しい草津市に、人口では逆転されたものの、実質的には今でも滋賀県第二の拠点都市である。
再開発で新たに造られた「古い町並み」である「夢京橋キャッスルロード」の印象が強い町なのだが、城下町としての歴史的町並みも、それなりに残っている。ただ、近江八幡のような完璧に近い町並みが見られるわけではなく、長浜のような徹底した演出もない。観光的にはやはり「夢京橋」に隠れた、地味な存在だ。僕ももちろん何度か訪れてはいたのだが、納得の行く写真がどうにも撮れずにいた。今回は、一眼レフ式デジタルカメラを手にしての再チャレンジだった。

しかし、彦根駅の空はぼんやりとした雲に覆われていた。京都を出たときには晴れていたはずなのだが、やはりこの地方は気候が違うのか。町並み撮影に天気は関係ないという主張もあるようなのだが、僕の場合は風景としての町並みが撮りたいのであって、建物のディテールを記録したいのではない。ならば、やはり空が青いにこしたことはない。気乗り薄のまま、寒風が吹くメインストリートを歩き出す。きれいに整備された通りは、一応拠点都市としての矜持を保っているようではあったが、しかし人は少ない。
2006.08.23
Episode1 「分岐点」~米原~ (1)

米原駅という名前を聞いて、何らかのイメージを頭に描くことができる人なら、ほぼ間違いなくあの巨大な駅を思い浮かべるはずである。
東海道線・東海道新幹線と、北陸線の分岐駅。JR西日本と、JR東海の境目でもある。気候的には北陸に近く、東海道新幹線に乗っていても、この駅だけが雪の中ということもある。そして、吹き付ける寒風の中で掻き込む、ホームの立ち食いそば。これが美味しい。
これだけの幹線が接続する駅だから、当然規模は大きく、何面ものホームを通路が結んでいる。しかし今、僕が降り立ったのは、その巨大駅ではない。実は、米原駅は二つある。

近江鉄道米原駅。これが、そのもう一つの米原駅である。近江鉄道は、貴生川・近江八幡から彦根・米原の間を東海道本線と一部平行して走るローカル私鉄だ。沿線に金堂や日野など古い町並みが多く残り、僕も何度か利用している。
駅はいずれも古び、年代物の車両がモーターを騒々しくうならせて走る。近畿圏内ながら、乗っていると「遠くへ来た」という情感が湧き起こってくる路線だ。地元では「ガチャコン」という愛称で呼ばれているのだという。昔は、そんな音を立てながら走ったのだろうか。近江鉄道株式会社公認の愛称のようでもあり、ホームページにもちゃんと記述がある。
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