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 再び夢京橋に戻り、途中で横道にそれると、さっそく町家の集まる一画に出る。現役の医院として使われている建物が、立派だ。しかし、撮れた写真はやはり今一つのものであった。空はどんよりとしたまま、ぼんやりと不透明な空気越しの町並みは、コントラストを失って平面的である。せっかくの一眼レフだし、露出などをいろいろ弄ってみるが、この空気をカバーできるほどの腕はない。記録として最低限の写真のみ撮り、引き上げることにする。遠い町ではない。また来ればいい。町並み撮影は、腕より根気だと自分に言い聞かせる。
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 夢京橋キャッスルロードへと戻り、しばらくぶらぶらしてから、彦根駅へと引き返す。行くあてはないが、このまま帰るつもりもない。駅まで帰れば、何か思いつくだろう。さびれつつある商店街の写真などを撮りながら、また歩く。

 このクラスの都市の中心商店街は、どこも苦しい。みんな車で、郊外のスーパーへ買い物に行くのだろう。四番町の前身であった市場商店街など、薄暗いアーケードのせいもあってか、不安になるくらい元気がなかった記憶がある。滋賀県の場合、地元資本の準大手スーパーが、あらゆる場所に店舗網を張り巡らせているのだから、なおさらである。琵琶湖周辺では、どこの町へ行こうとも、そのシンボルマークである二羽の鳩から逃れることはできない。絶対に。
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(滋賀県の覇者、二羽の鳩)
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まずは今日のもう一つの目的、「四番町スクエア」へと向かう。夢京橋に隣接するこの地区は、「大正ロマン風」町並みとして整備が進んでいるそうだ。どんなシュールな光景が見られるのだか、とにかくこれは放っておけないだろう。彦根城に近い、夢京橋のそばと言うことは、古い町並みが残るエリアからも近いわけだから、ついでに寄ると考えても不便はない。

 彦根城の広大な濠を眺めつつ、ひたすら歩き、やっと夢京橋キャッスルロードにたどり着く。天気が悪いせいか、観光客の姿は少な目である。兄弟と思える子供二人が、空いた通りを大はしゃぎしながら走っていく。僕だって、子供の頃なら同じようにはしゃいだに違いない。町家の姿をした店がいくつも並ぶ、テーマパークのような楽しい町である。しかし僕は、駄菓子屋やみやげ物屋を横目に、「四番町スクエア」を目指す。大正ロマンが僕を待つ。

 たどりついたその町は、まだ未完成のようだった。老朽化していたアーケード商店街を取り壊し、区画整理を行って、新たな店舗への建て替えの真っ最中である。しかし、完成した部分を見ても、それが果たして大正ロマンであるのか、正直言って何とも言えない雰囲気だ。詳しくは写真をご覧いただきたいが、モボやモガが三越や帝劇を目指してそこを闊歩する様を想起するのは少々難しいのではないか。ただここは、地元の有志の方々が頑張って開発を進めておられるそうであるし、まだ未完成でもあるので、今後に期待したいところだ。リアリティよりもいっそ、徹底的にシュールで不可解な空間にしてはいかがかというのが、僕からのアドバイスである。昔の広告看板で町を埋め尽くすとかね。これならコストも大してかからないし。
(注:この文章の内容は、2005年現在のものです)
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その日僕が向かったのは、米原の町に隣接する彦根市だった。彦根は、滋賀県東部で最大の町だ。人口、約10万。国宝彦根城の立派な造りを見てもわかるように、かつてはかなりの規模を有する城下町で、県庁所在地となっても不思議のなかった地である。ベッドタウンとして近年発展著しい草津市に、人口では逆転されたものの、実質的には今でも滋賀県第二の拠点都市である。

再開発で新たに造られた「古い町並み」である「夢京橋キャッスルロード」の印象が強い町なのだが、城下町としての歴史的町並みも、それなりに残っている。ただ、近江八幡のような完璧に近い町並みが見られるわけではなく、長浜のような徹底した演出もない。観光的にはやはり「夢京橋」に隠れた、地味な存在だ。僕ももちろん何度か訪れてはいたのだが、納得の行く写真がどうにも撮れずにいた。今回は、一眼レフ式デジタルカメラを手にしての再チャレンジだった。
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しかし、彦根駅の空はぼんやりとした雲に覆われていた。京都を出たときには晴れていたはずなのだが、やはりこの地方は気候が違うのか。町並み撮影に天気は関係ないという主張もあるようなのだが、僕の場合は風景としての町並みが撮りたいのであって、建物のディテールを記録したいのではない。ならば、やはり空が青いにこしたことはない。気乗り薄のまま、寒風が吹くメインストリートを歩き出す。きれいに整備された通りは、一応拠点都市としての矜持を保っているようではあったが、しかし人は少ない。
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米原駅という名前を聞いて、何らかのイメージを頭に描くことができる人なら、ほぼ間違いなくあの巨大な駅を思い浮かべるはずである。

 東海道線・東海道新幹線と、北陸線の分岐駅。JR西日本と、JR東海の境目でもある。気候的には北陸に近く、東海道新幹線に乗っていても、この駅だけが雪の中ということもある。そして、吹き付ける寒風の中で掻き込む、ホームの立ち食いそば。これが美味しい。

 これだけの幹線が接続する駅だから、当然規模は大きく、何面ものホームを通路が結んでいる。しかし今、僕が降り立ったのは、その巨大駅ではない。実は、米原駅は二つある。

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 近江鉄道米原駅。これが、そのもう一つの米原駅である。近江鉄道は、貴生川・近江八幡から彦根・米原の間を東海道本線と一部平行して走るローカル私鉄だ。沿線に金堂や日野など古い町並みが多く残り、僕も何度か利用している。

 駅はいずれも古び、年代物の車両がモーターを騒々しくうならせて走る。近畿圏内ながら、乗っていると「遠くへ来た」という情感が湧き起こってくる路線だ。地元では「ガチャコン」という愛称で呼ばれているのだという。昔は、そんな音を立てながら走ったのだろうか。近江鉄道株式会社公認の愛称のようでもあり、ホームページにもちゃんと記述がある。

「電気走行時代」に続いて、まちなみ街道からの二つ目のブログを作ることにしました。と言っても、「紀行文byまちなみ街道」の内容を、ブログ化するというだけだったりするので、管理に困るようなことはないだろうと思ってますが。
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