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後で調べて分かったことだが、米原は北国街道の宿場町であったらしい。国道8号線から分かれて、集落内を南北に貫く通りが北国街道であり、通り沿いの所々に町家の連なりが残されていた。静まり返ってはいたが、まぎれもなくここが米原の、本来の中心なのである。街灯の柱に取り付けられた「米原商店街」の文字が、それを証明していた。
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(北国街道沿いの町並み、そして米原商店街)

 どこからともなく聞こえてくる「遠き山に日は落ちて」のメロディーが心を駆り立て、さらに街道を北へと進む。別に、陽が落ちたからと言ってすぐに困ることはないのだが、この手の曲には条件反射的に気持ちを焦らせる効果があるようだ。たとえば、閉店前の「蛍の光」とか。それにしても地方の町へ行くと、こういう夕暮れ時に、町中に音楽を流しているのをよく聞くけど、あれは何なのだろうね。時報代わりなんだろうか。

 やがて街道は、一軒の旅館と、その手前に立つ道しるべに突き当たった。道しるべに近づき、その文字を読む。そこには、「右中山道」「左北陸道」の文字があった。ここが、中山道と北陸道(北国街道)の分岐点であるらしかった。それは昔も今も、恐らく今後も、ずっと分岐点であり続けるのであろう米原の町を、象徴しているかのような道しるべだった。僕は左右どちらをも選ぶことなく、音楽が鳴り止むまで、その場に立ち尽くしていた。(了)
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(分岐点)
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そもそも、乗り換えに利用することは多くても、駅の外に出ることが滅多にないのが米原駅である。まして東口の向こう側を歩く機会など、普通ならまず無かっただろうと思う。しかし、古びた小米原駅に降り立った僕は、そのまま巨大駅の中に向かう気にはなれなかった。メインストリートを離れて、脇道を散歩するようなこの感じを、もう少し楽しんでみたい。新幹線が通過していく轟音に背を向け、僕は東口駅前をさらに東へと歩き始めた。もしかすると彦根駅の外れにある、あのホームに向かったときから、僕は何かに背を向け始めて歩き出していたのかもしれない。大げさだが。

 さて、歩き出してすぐに、国道8号線にぶつかった。しかし国道を越えた向こう側にも道は続いていて、見ると旅館が数軒並んでいるようだ。小規模な旅館街が形成されているらしく、古い町並みとまでは言えなくても、それなりに雰囲気は悪くない。招き入れられているような気持ちになり、青信号を渡る。旅館街の向こうで小さな交差点を曲がると、一見して旧街道だと分かる狭い通りが、その先に続いていた。
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(旅館街)
 地図で見ても分かるが、米原の町は、巨大なほうの米原駅によって東西に分断されていて、西口と東口とでは全く別の町のようになってしまっている。駅の周辺に踏切はなく、東西を行き来するにはただ一本の陸橋を渡るか、駅の中を通るしかない。

 東西の駅前を見比べると、町らしく見えるのは西口である。ロータリーが整備され、ビルやスーパーが建っている。通りを歩き出せば、その彼方には繁華街の賑わいがあるのではないかと言う気がする。しかし実際には、まさにビルとスーパーがあるだけで、その向こう側に市街地らしい場所はない。結局、すごすごと引き返すか、スーパーの中でハンバーガーでも食べることになる。
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(西口の風景。やはり鳩はここにも)

 これに対して、東口は一見寂しい。改札口を出た途端、思わずごめんと引き返しそうになるほど、何もない。例の近江鉄道米原駅はこの東口にあるのだが、ここを乗り換え客が歩いてきそうには、とても見えない。ああ、やはり駅だけの町なのだなと早合点しそうになるが、実は米原の町は、この東口の側にあるのだ。商店街だって、ちゃんとある。これはあとで紹介する。
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(こちらは東口。右の殺風景な建物が、近江鉄道の駅)

米原までは、東海道線なら一駅なのだが、近江鉄道には中間の駅があり、鳥居本駅という。いかにも歴史のありそうな地名だが、実際にここは鳥居本宿という宿場があったところであり、街道沿いに町並みが残っているとも聞いている。恐らくは、ここに寄るためにわざわざ山越えコースでレールを敷いたのだろう。しかし今日は何の資料もないことだし、なにより天気が良くないので、車窓から眺めるにとどめることにする。

 そこから先は、国道沿いを坦々と、電車は走る。少し離れて平行する新幹線の高架を、のぞみ号と思われる超特急が駆け抜けていくが、あれは別世界の乗り物だ。退屈で眠ってしまいそうなので、ここで雑談を披露しよう。

「米原駅」の読みは、「まいばらえき」である。この駅を知っている人なら、わざわざ説明するまでもないことだろう。しかし、この駅が位置する町の名が、「まいはらちょう」であったことは案外知られていない。濁らずに、あくまで「まいはら」なのだ。ところがこの「米原町」、今年(平成17年)の2月14日に山東町、伊吹町と合併して「米原市」となった。市と呼ぶには苦しい規模の町なのだが、これはまあ平成の大合併ではさほど珍しいことではない。で、この「米原市」をどう読むかというと、これが「まいばらし」なのである。濁っている。駅に合わせたのかどうかは知らないが、ややこしい話ではある。ちなみに、北陸自動車道のインターチェンジは「まいはらIC」らしい。どうするんだろう。

 などと、余計に眠くなりそうな話をしているうちに、電車は冒頭の米原駅に到着する。「今、僕が降り立ったのは」という箇所に、やっと戻ってきた。

 こうして彦根駅に戻ってはきたが、しかし結局良いアイデアなど思いつかない。じゃあ帰るか、帰るのだったら一度米原まで行こうかと運賃表を見上げる。帰る方向とは逆になるが、一駅となりの米原は新快速電車の始発駅であり、確実に座って帰れるからだ。いや、どうせならと僕は思いつく。米原までなら、近江鉄道が平行して走っているはずだ。JRで同じ区間を往復するより、違う経路を通る方が面白いのではないか。どうせ、先を急ぐわけでもない。
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 早速、彦根駅の外れにある近江鉄道のホームへと向かう。ほんとに外れであって、目の前は電車の車庫である。列車はほぼ三十分に一本だが、幸いなことに米原行きはすぐにやってきた。わずか、一両編成だ。車両の前面でライオンズのレオマークが吠えているが、これは近江鉄道が西武グループの傘下だからだ。昨今何かと話題のこの巨大企業だが、創業者の出身地であることから、滋賀県との縁が深い。しかし電車は、不正疑惑などとはまったく無縁に、ゆっくりと走り出す。

 駅を出た近江鉄道の路線は、北へ向かう東海道線に別れを告げて、東へと向きを変える。彦根市街地の東側は、かつて佐和山城があった山地だから、電車は当然そこを越えなければならない。モーターをうならせながら坂を登り、トンネルをくぐる。なぜわざわざこんなルートにしたのかは知らないが、アップダウンが激しくてなかなか楽しい。国道8号線も、ほぼ同じルートを採っている。

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